本会議における梶議員(動議提案者の一人、市民クラブ)が、動議提案理由の一つを「自身の法の解釈で断定的な発言をしたことなどは、本議会の権威と品位を著しく汚すもの」[1]と述べていますが、山下議員の法の解釈が正しいか間違っているかを検証する前に、「自身の法の解釈で断定的な発言をしたこと」が本議会の権威と品位を著しく汚すものなのかどうか、また懲罰に値することなのかどうかを検証します。

引用 [1]

○23番議員(梶 泰久)

[中略]
自身の法の解釈で断定的な発言をしたことなどは、本議会の権威と品位を著しく汚すものであります。[1]

 以上の経緯及び理由から、18番 山下富美子議員に対する懲罰を求める動議を提案いたします。

(令和3年12月10日第11回定例会会議録)

懲罰特別委員会での懲罰賛成派委員の意見を見ると、山下議員の法解釈が間違っていることを問題としているようですが、間違った法解釈により断定的な発言をすることは議会の権威と品位を著しく汚すことであり懲罰に値することなのでしょうか。議員のバイブルとされる「議員必携」には以下の記述があります。

議会は、“言論の府”といわれるように、議員活動の基本は言論であって、問題は、すべて言論によって決定されるのが建前である。このため、議会においては、特に言論を尊重し、その自由を保障している。会議原則の第一に、「発言自由の原則」が挙げられるのもそのためである。

(『議員必携』第二編 議会の運営 第五章 発言の1「発言の自由と責任」)

この記述の後には、当然ながら、発言は会議のルールに従った節度ある発言が要求される、また法令や会議規則に違反した発言は懲罰の対象になるとも書かれていますが、その制約の中で発言の自由は最大限に尊重・保障されるべきです。これが記載されている理由は、議員の発言の自由が尊重・保障されることは民主主義の根幹をなすものだからです。その場合、自分の信条や考えに基づいた議員の発言が正しいか間違っているかは関係なく、間違っているから議会の権威と品位を著しく汚すことだと決めつけてしまうと、自由な発言を委縮させ抑圧することにしかなりません。それは、言論の自由を尊重すべき議会にとっては自殺行為です。もし、ある議員の発言あるいは法の解釈が間違っていると他の議員が考えるのなら、ここに書かれているように言論によって決定されるべきです。つまり、議論を戦わせることで間違いを正し結論を出すべきであり、それこそが議会の権威と品位を保つことになるのではないでしょうか。

また、断定的な発言をすることは議会の権威と品位を著しく汚すことになるでしょうか。自分の信条や考えに基づいて発言をする場合に断定的になることは頻繁に発生することであり、むしろ力強い説得力のある発言は多くの場合断定的になるのではないでしょうか。一般常識から見ても断定的な発言が節度のない発言と考えられるわけではなく、また断定的な発言を禁止する会議則があるわけでもありませんから、それを議会の権威と品位を著しく汚すものであるとみなすのはこじつけでしかありません。 以上のことから、「自身の法解釈で断定的な発言をしたことが議会の権威と品位を著しく汚すものである」というのは、懲罰を科すことを目的とした単なるこじつけの理由による間違った主張であり、懲罰の正当な理由になるとは考えられません。