ここでは、本会議における山下議員の法令解釈が正しいかどうかを項目を分けて検証しています。以下はそれらの検証結果をまとめたもので、検証の詳しい内容は検証ごとのページに記載しています。

検証2-1. 間違った法解釈で断定的な発言をしたことは議会の権威と品位を汚すのか   ⇒ 検証の詳細 

山下議員に対する懲罰の根拠の一つとして、間違った法解釈で断定的な発言をしたことが議会の権威と品位を著しく汚すものであるとされています。しかし議会での発言の自由は、一定のルールの中で最大限に尊重されるべきであり、それは民主主義の根幹をなすものです。その場合に、発言の内容が正しいかどうかは関係なく、また断定的であることが議会の権威と品位を汚すものであるとの主張は単なるこじつけでしかありません。むしろ、このような理由で懲罰を科すことは言論を封殺することになり、言論の自由を尊重すべき議会にとっては自殺行為でしかありません。むしろこのような行為こそ、議会の権威と品位を著しく汚すものと言えます。

検証2-2.  山下議員の法解釈が間違っているのかどうか   ⇒ 検証の詳細

本会議での山下議員の一連の発言を全体として解釈すると、その趣旨は、学校統廃合に関する教育委員会の職務権限はその事務を執行することであり、その最終責任は教育委員会ではなく地方公共団体の長である市長が負うべきものであるという意味であって、それを教育長および市長に尋ねています。このことに関連する法律である「教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)では、学校の設置や廃止に関しては、市長と教育委員会から構成される総合教育会議で協議・調整することが定められており、そこでは市長が住民の意向を反映させることが求められています。また、地教行法に基づく教育行政の構造を詳しく見ると、総合教育会議での協議に加えて、そこでまとめられた市長の議案が議会で承認されることも必要であり、教育委員会の権限と責任で学校の統廃合が執行されるわけではないことも明らかです。従って、山下議員の解釈は妥当なものであると考えられます。また、教育長の答弁では誰に最終責任があるかについては言及されていませんが、少なくとも、教育委員会は学校の設置者ではなく、それに関する事務の執行者であると考える点では山下議員と一致しています。

検証2-3.  学校の統廃合への市長の関わりと責任   ⇒ 検証の詳細

検証2-2bで確認しているように、地教行法では学校の設置や廃止に関して、市長は総合教育会議の場で住民の意向を反映させることが求められています。また、市長が策定するとされている教育行政の大綱については、地域の実情に応じて教育、学術、文化の振興に関する総合的な施策とすることが求められており、当然市長には地域住民の意向の反映や一般行政との関係を考慮する役割と責任があります。さらに、この大綱には学校の統廃合について記載することも想定されています。従って、山下議員の質問に対する市長の答弁は、学校の統廃合についての自身の役割と責任を認識せずに、教育委員会にそれを押し付けるものです。

検証2-4.  文部科学省の説明の解釈   ⇒ 検証の詳細

山下議員の法解釈が正しいかどうかを確認するために議員らが文科省に派遣されて説明を受け、その結果を懲罰特別委員会で報告しています。報告された内容は、検証2-2での解釈と細部での違いがありますが、全体として同じ内容になっています。しかしこの報告では、山下議員の法解釈が正しいかどうかについては言及されておらず、また懲罰特別委員会ではこの報告をどう解釈するかという議論は全くされておらず、山下議員の法解釈が間違いであると結論することはできません。それにも拘らず、懲罰賛成派の議員は、あたかもこの報告によって山下議員の法解釈の間違いが認められたかのような主張をしたり、検証2-2の結果とは異なる自身の法解釈を入れて懲罰の根拠としたり、あるいは単なる決めつけで山下議員の解釈が間違いであるとしています。

検証2-5.  懲罰特別委員会での各委員の山下議員の法解釈に対する意見の検証   ⇒ 検証の詳細

懲罰特別委員会では山下議員の発言が懲罰に値するかどうかについての実質的審議は行われていませんから、懲罰賛成派の各議員の法解釈についての意見は、根本的には議論に基づかない自身のあるいは議員同士での相談の結果による独自の解釈であり、検証2-2の結果とは異なるものです。それらには、誤った論法によるものや、地教行法の曲解、教育行政の構造の誤った解釈、あるいは単なる決めつけなど、山下議員の法解釈が間違いであること主張するための強引で恣意的な意見が目立ちます。また、山下議員の一連の発言全体の趣旨を理解しようとはせずに、発言の一部だけを取り出して間違いだとする意見もあります。総じて、山下議員の法解釈が正しいかどうかについてきちんとした検証と議論に基づいて判断するものではなく、単に懲罰が妥当であることを主張したいがための意見だと思われます。